第5代天台座主・智証大師円珍を開祖とし、 総本山を園城寺(三井寺、滋賀県大津市)とする宗派です
本寺は、平井地区が一望に見渡せる小高い山の上にあります。 昔は、この場所から4キロも奥にありましたが、約400年前に土佐の長曽我部氏の兵火にかかって焼失し、現在の地に移されました。 本堂には、本尊十一面観世音菩薩(じゅういちめんかんぜおんぼさつ)が安置されてます。伊予国三観音の一つにあげられ、高見山、高縄山と共に有名です。
本堂の裏山には、西国、坂東、秩父の百観音霊場の砂を清めて、百体の観音像を安置し、百観音像を順々に参拝しながら、山道を登って頂上にたどり着くと百観音堂があります。西国・坂東・秩父ミニ霊場めぐりができるルートもございます。
河野道信の奥方が安産祈願のため高棚山の観音を信じ、道俊(得能家の祖となる)を無事出産して以来、子安観音としての信仰を得ることになりました。
天長5年(828年)河野家の祈願所と定められました。 特に河野道信の奥方が安産祈願のため高棚山の観音を信じ、道俊(得能家の祖となる)を無事出産して以来、子安観音としての信仰を得ることになりました。元禄2年(1689年)松山城主久松定直の奥方が安産祈願のため、脇仏であった座像の正観音像(高さ約40センチ)を城内に祀り、無事出産したことにより、いっそう子安観音としての信仰が広まった。(城内に持ち込まれた仏像は、藩幕体制崩壊後の1878年になってから返還されている)
平井谷における観音信仰、子安信仰は、松平家の保護を受ける以前からあったと思うが、 1689年になって決定的となり、“平井谷の子安観音”の信仰はより一般的となる。